相模原で障害者が刺殺されるという痛ましい出来事が起こりました。ご家族に謹んで哀悼の意を表します。ご本人様もさぞかし無念の思いだったと思います。以前乙武さんの「五体不満足」の中で障害も個性のひとつと書かれていた記憶があります。確かに健常な人と違ってなんらのサポートが必要になってきますが、残された機能を僕たちの想像を遙かに超える能力で優れた業績や作品を生み出されている方もいらっしゃいます!昔サリドマイドによる副作用で上肢の短い人が、足趾で手の指と変わらない日常生活を過ごされているテレビを見て子供心に感動した覚えがあります。昨日も東京から学生時代のスキー中の転倒による高次脳機能障害受傷後、右半身に感覚運動障害があるにも関わらず、目で見て認識しながらリハビリを頑張るだけでなく、それを論文にすることにより同じ境遇の人の福音となるようにと努力されている方が来院されました。また子供さんが頸椎1番目の損傷を受け医学的知識なら死亡のはずが、現在は呼吸器も外れて反応もかなり出てきているを親御様の話を聞いて人間の持っている底力を改めて感じると共にあきらめずに努力されたことに対して深く敬意を表します。不平不満ばかり述べている自分の小さい器が恥ずかしくなります。僕たちの子供の頃と違って、現代社会は、電車の中のバギーの存在がうっとうしいや社会的弱者に対して暖かく見守る心の余裕を失っているような気がします。堀内孝雄の「愛しき日々」の歌詞の中で「もう少し時が緩やかであったら」とか「もう少し時が優しさを投げたなら」という文節があります。とても好きな歌です。機会があれば一度聞いてみてはいかがでしょうか!