以前にも東京大学名誉教授上野千鶴子氏の東京大学入学式のでの祝辞をブログでも取り上げてさせて頂きましたが、最近日本人の寛容さが失われてきているような気がします。日経ビジネスでも12/22の河合薫氏のコラムで「他者の辛さ」おもんぱかる力が衰退した2020年とタイトルをつけられてコメントされていました。この中で強烈な印象を打ち付けられた記事に、この一年は介護問題に限らず、「自分とは違う他者」について想像しない人の存在を、実感することが多かった。「できない」のではない、「しない」のだ。コロナ禍で社会のひずみ、格差が増大しています。コロナという大義名分で自己責任論が台頭しています。2006年に認知症を患う母親を介護している54歳の息子が、介護のため職を失いお金も尽き心中を図り、通行人に発見され一命をとりとめたそうです。息子は、母親のため自分の食事を2日に1回にして最後の僅かなお金でパンとジュースを買い、母親に食べさせてから心中を図ったそうです。裁判で被告が述べた言葉が「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」(毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』(新潮文庫)より)京都地裁は男性に懲役2年6カ月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡し、裁判官は国にこう、苦言を呈した。「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と。そして男性に、「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけたという。でも公的支えがなく男性は、2014年自ら命を絶ったそうです。本当に自己責任で片付けてもよいのでしょうか?僕らの小さい頃の方が、社会は貧しかったですが、もっともっと思いやりがあった気がします。鬼滅の刃の煉獄さんの母親のセリフが耳に残りました。
なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか 弱き人を助けるためです。
生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように